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文章作品

社内報掲載コラム「21の冬、太宰を食べた」

 小説が好きだ。文学が好きだ。中でも、太宰治が大好きだ。14の夏に初めて「女生徒」という短編に触れて以来ずっと、治への愛を持て余し続けている。これまで全集を乱読したり、太宰治サロンを訪れおじいさんの話を延々聞いたり、心中の地に足を運んで思いを馳せたりして好きを晴らさんとしてきた。だが、それを続けたところで治との距離は縮まることのないように感じた。これでは死ぬ間際になっても「まだ治への愛を放出しきれてないのに~」と後悔するのが目に見えている。そんな人生は嫌だ。もっと近づきたい。もっと好きをぶちまけたい。考えあぐねいたある夜のこと、一つの結論に至った。私の最も愛する作品「斜陽」を自らの身体の一部にする。つまり、食べるということだ。
 21の冬、私は「斜陽」を食うことに決めた。しかし私も人間であるから、流石に文庫本まるまる一冊は食せない。そこで、作中で最も好きな「僕の赤ちゃんが欲しいのかい」という台詞だけ、ちいさくちぎって頂くことにした。
 まず初めにちょっと舐めてみる。酸味が強いのかと思っていたが、味はあまりしない。しかも結構溶けやすい。読んでいるだけの時には意識していなかったが、あまり耐水性のない紙なのかもしれない。口に入れる。まずくはない。しかしきゅっきゅっという歯応えがありとにかく不快である。歯が痛い。物凄く噛みにくい白身魚みたいだ。それでも、「斜陽」を身体に溶け込ませるぞ……という熱意を持って味わった。身体が遺物と判断しているのか、飲み込もうとするとえずく感じがある。何分もかかったが無事嚥下することが出来た。
 この「食らう」という行為はかなり満足度の高い好きの発散方法だと分かった。これ以来、好きなものはとりあえず食べてみる人間に変貌を遂げたのであった。好きが飽和点に達して身動きが取れなくなった時はぜひお試しください。

短編小説「しろいまる」

 僕がきみを好きなのは、きみがちっともつれないからだ。
 家へ戻るなり電気だけぽちりとつけて、僕はしろいまるの腰元にしなだれる。しろいまるは、身体をむずむずと揺さぶる。そうして面倒くさそうに、ひとつ、こぼしてくれるのだ。
「なさけないのね。おとこのくせに」
 おかゆみたいな半透明な声に救われて、首を左にひん曲げる。ぎぎぎ。一つしかない四角い窓の中には、白いもやばかりで星一つない。重力に負けて床にくっつきそうな顔面を引き剥がし、無理くり正面を向いた。
 通販で1990円だった安っぽいつくりのテーブル、しろいまるはその上に鎮座している。机を贈った一昨日、これじゃあきにくわないのとぼやかれたので、なけなしの白いハンカチ、皺のよったのを一枚、敷いてあげた。
 皺は、あのときよりも増えている。


 しろいまるの身体は白い。絵の具の黄色をひいて二日後に白を重ねたような、暖かみの織り込まれた春の白さだ。皮膚の質感はなめらかなつるつるで、そのくせしっとりとしている。
 最も、それは想像でしかない。なぜって、僕は、しろいまるに触れたことがないのである。触れたら全部、おしまいだと思う。でも、それが全てのはじまりだとも思う。二つの背中合わせな気持ちが、ねじりあって弾けそうになる。だから、僕は目をつむる。
 僕は、しろいまるを撫でたい。愛おしく狂おしくこわごわと撫でた後、一も二もなく棒でごんごんと殴りつけてぐちゃぐちゃになったきみへ、泣きながらもみくちゃな鼻ずりをしたい。
 僕は、だから、しろいまるに触りたい。僕は、もうしろいまるにさわりたいんだ。いつもそう思っている。いついかなるときも、ということはないが、しろいまるの肉体がいちいち思考に入り込んでくる。ふと、思うのだ。本の上を目が滑り続けて、ふと。心臓がちゃんと動いているのを不思議に思って、ふと。天井の黒が臓器の隙間と言う隙間へ流れ込んで来て、ふと。ふと、思うのだ。
 あれに触れた時、何が起こるんだろうか。触れたところから、バターみたくとろとろとろけ出しちゃうんだろうか。僕は、なんだかもう、しろいまるに飲み込まれてもいい。しろいまるの中でゆっくり、じゅっくり溶かされて、全部忘れてそのまましろいまるになってもいい。
    決して僕に触れさせない、きみに僕は触りたい。
    僕は、きみに触れてもいいのだろうか。


 僕がきみを好きなのは、きみがなんにも許さないからだ。
 家に帰るなり電気だけぽちりとつけて、僕はしろいまるの腰元にうなだれる。しろいまるは、かふかふした身体を揺さぶる。僕は、しろいまるにぬかずく。額を畳にこすりつけ、そうした後に顔を上げ、おずおずと手をのばそうとするのだが、しろいまるは
「よしてよ」
 と応えてくれない。
 僕は無理くり、顔に右にひねる。ぎぎぎ。部屋の隅には、コンセントの抜けたストーブが冬から取り残されている。こほこほするの、としろいまるが嫌がるので、暖房器具はつけないのだ。つま先の感覚はない。でも、何よりの春がここにいるから、僕は大丈夫なのである。
 さみしい欲望を紛れ込ませて、白い息を吐いた。


 僕の家から星は見えない。見えたことがない。それは、しろいまるが全部の星を吸い取っているからだろう。だからたぶん、しろいまるのなかには宇宙がちいさく眠っているんじゃないかな。木星、リゲル、のみならずアンタレスなんかも。しろいまるがすーすー微かないびきをたてて眠りについた後、僕は靴下を台所でもみ洗いしながら、しろいまるについて考える。僕は目をつむる。
 僕は、しろいまるに落ちていきたい。何もかも、大切で滑稽な難しいものたちを全部捨てて、どこまでもどこまでも、逆らう間もなくきみの真っ黒な宇宙に転げ落ちたい。
 きっと、僕の貧弱なぼうっきれではしろいまるのなかの宇宙を受け止めきれないから、そう分かっているからきみは僕に触れられたくないのだ。
 ……もしくは。急に開いた瞼がぴくついた。もしかしたら、しろいまるの中には、ものすごく人間じみた臓器があるのではなかろうか。胃や腸、膀胱、膣。ふわふわのしろいまるにぐろぐろしたそれらはあまりにも似つかわしくないから、それがたまらなく恥ずかしいからしろいまるは僕を拒絶するのではないんだろうか。そんなの、別にどうだっていいのに。僕は、めをつむる。
 僕は、しろいまるに溶けたい。僕がどう暴れたところでぴくともしないきみの身体に、なす術なく無様に吸い込まれていきたい。黄色のぬめった液体で耳の穴や心の溝まで満たされとろけて、溺れて、ゆっくり、すこおしずつきみになっていきたい。
 その妄想は、僕の面倒な神経にぴったりと寄り添った。これに違いないという確信。全身の細胞がぱっちりと目覚めた。僕の心の柔らかいところが、いつもイガイガしている難しい部分が珍しくうつくしく整っている。
 たぶん今なら、きみを受け止められる。本当に、行けるかもしれない。そうなんだ。きみが宇宙でも、人間でも、なんだって受け止められるんだよ。
    決して僕を恋することない、きみを僕は恋したい。


 目を開けると、青かった。視界に入るもの、何もかもがくっきりぱきぱきしている。すり合わせた靴下をじゅうと絞る。指の先は冷えきって痛いほどだ。そんな手では決まって水を切りきれないのだけど、今日は気にせずカーテンレールに垂れ下げる。ぱちりと止めた洗濯バサミの感触が、妙にしっくりと身体に響いた。ぱたぱたと落ち続ける水滴も、いつものようには拭き取らない。その耳障りを受け止めながら、僕はしろいまるに目をやった。
 しろいまるがいる。しろいまるは、すーすー寝ている。ふくらみ、しぼみ、ふくらみ、しぼみ。その真っ白なおなかがゆっくりと上下する。ふくらみ、しぼみ、ふくらみ、しぼみ、ふくらみ。
 僕は、きみに触れてもいいのだろう。


 しろいまるは寝ている。僕は、指を二本、そろそろと伸ばす。しろいまるはすーすー寝ている。あとすこし。すーすー。しろいまる。もうすこし。すーすー。しろいまる。あと、もう、あ、あ。あ。あ。
 ぴと、としろいまるの肌を捉えた。
 はずが、よく分からずもう一度。腕を引っ込め、またくっつける。しろいまるは、しんと止まった。しろいまるは、ふくふくしていた。そうして、ふよふよと蠢いた。それだけだった。それなのに、それなのに、それだけだ。何もない。どうして。どうして。どうして?どうして。今にもしゃくりあげそうな衝動を抱えた僕は、しろいまるに力を加えることしかできない。しろいまるは音も立てずにへこんだ。ああ、なんだか、難しいなあ。鼻の下が、しょっぱかった。ぎゅうと握る。と、しろいまるだったものは、すんとも言わず、僕の手そのままの形になる。難しい。分からない。ぎゅう。ぎゅう。ぎゅう。ぼとり。しろいまるは、掌の中でひょうたんみたくなって、ぼとりと千切れて落っこちた。僕は、涙の跡が一度できてしまえば後の同胞も同じみちを通るもんなんだなあとか、そういうくだらんことをしずかに考えた。
    しろいまるをテーブルに叩きつける。身体の感覚が曖昧になって力がずれたのに、それでもきみはぺしょっと潰れた。もう一度。べしょっ。平たい。しろいまるはもう、まるではない。目の前が滲んだ。袖で拭った。
 しろいまるだったものをゆっくりと、引っ張ってみた。そろっと腕を引くと、よく伸びた。もうしろいまるでない何かは伸びて伸びて、びろんと床についてしまった。口の周りが、しょっぱい、しょっぱい。もうどうしようもない。甘かゆい奥歯を噛み殺して、しろいまるだったものを掴みつぶす。
    ぼとり。僕はきみに、身体がきしむまで吐き出したかった。  
    ぼとり。包みこまれて震えたかった。
    ぼとり。憎まれて、憎まれながら奥まで届かせたかった。
    ぼとり。僕は、きみに、ぼとり。ぼとり。
 かなしくちょんぎれたしろいまるのカケ、そのひとつを口へ運んだ。おいしいとは言えない、でも不愉快でない甘さがある。歯を立てると、なんの抵抗もなくぱらぱらになる。かと思いきや、歯や舌にへばりつく。いつまでも残っている。


 しろいまるは、確かに僕の世界だった。でも、もうなにもない。こわれた。僕の手でこわしてしまった。さみしくて、おかしくて、おかしくなるほどさみしかった。心の底が浮き上がりそうになって、小さくなったまるたちを、ぎゅううと、平べったくつぶす。かつてしろいまるだったちいさな平たいまるは、べっとりと僕の手にへばりついた。それをこそぎとって、丸めて、またつぶす。
    さあ、お別れだ。僕は、きみを好きだったのかもしれない。そうじゃ、なかったかもしれない。分からない。愛だの希望だの、そんなもん何一つ分からなかった僕にも、それでもきみとの今だけはあった。きみという一点だけは、確実にあったのだ。それでよかったんだよ。
    きみは、どうだった。
『どうだってもいいのよ』
    とびっきりの死化粧をしてやる。白い肌に、黄を差す。


 熱くて苦しいオレンジの炎の中に、しろいまるたちをゆっくりと並べる。これで、ほんとにさようなら。僕は、僕は目をつむる。
 僕は、きみに破られたかった。約束も、心も、僕の舌だってそうやって、びりびりにして欲しかった。
 僕は、きみに、愛されたかった。具合が悪くなるほど愛された後に、跡形もなく消して欲しかった。
 僕は、きみにこらしめられたかった。なんでもかんでも、全部、全部、全部。
 僕は、きみに。
 僕は。


 しろいまるたちは焦げた匂いを身体中からはみ出させて、ちゃいろいまるたちに変わり果てた。小麦粉と砂糖と卵の素朴な甘み。ちゃいろいまるたちは、僕のおなかを夕飯がいらないくらいにふくらませた。ただそれだけだった。■

執筆中長編小説の一部(軽い性描写)


「宮地さん」
「……」
「触れても、いいですか」
「……うん」
 そうっと壊物を触るように、指二本で触れた宮地さんの手は、性のにおいを感じさせない見てくれからは想像の出来なかった、私には無い荒い質感と硬さを持っていました。その感触は、宮地さんは紛れもなく男なのだということを、痛々しいほどに訴えかけてきました。しかしそれと同時にとても感じが良く、私の生理の部分にしっくりくるさわり心地でした。
「…大丈夫ですか」
「………だいじょうぶ」
「…じゃあ、脱ぎます」
 気が狂いそうなほどの恥ずかしさを押し殺して、努めてぶっきらぼうに、着ていた紺のスウェットを脱ぎ、シャツのボタンを一つ一つ外していきました。スカートのホックを外し、するすると下に下ろしました。靴下を取って、全て畳んで、この部屋の衣服たちに習って重ねて隅の方に寄せました。
 なんで私、男の人の目の前で下着になってるんだろう。私の好きな人は、私のこと、好きじゃないのに。何やってるんだろう。
宮地さんを見ることはとてもじゃないけどできなくて、側にあった安っぽい作りの机の角に、じっと目線を置いていました。宮地さんは部屋の隅でうずくまっていました。いつもここで一人っきりで、こんな風に小さくなっている宮地さんが容易に想像できてしまって、切なくて苦しくてなきたくなりました。宮地さんの視線は、ずっと私の身体に向けられていたようでした。それはあまりにも遠慮のなく強いもので、光線となって私の肉体をじりじりと焼くのではないかと思ったほどでした。
「白い」
「…」
「おもちみたい」
「おもち」
 太ってるって、ことかな。やっぱり。
 下着だけの姿になって、宮地さんの横に、膝をたたんで座りました。どこを触ろうか迷って、太腿に手を伸ばしました。触るか触らないかのところで一度ピクッと跳ね、それから死んだかのように硬直しました。私の方でも常々夢見ていた部位だったので、ここぞとばかりにさわさわと撫でつけてやりました。硬く、肉というものがほとんどなく、それでもしっかりとした存在感がありました。触れ合っている部分はお互いの体温以上にじんわり熱くて、何かしら目に見えない有難い力が働いているように思えてなりませんでした。
 せきを切ったように、宮地さんの腕が動いたのを感じました。指がいっぽんだけ、私のにのうでにくっつきました。その触れられた部分は、私の赤ちゃんを作るための器官と瞬間的に繋がり、その管を何かキュウキュウしたとてもえっちなものが流れ始めました。
 宮地さんは、飢えた野良犬が食物か毒物かを確認するかのようにじりじりと、私の身体を触れました。宮地さんの触った皮膚のところ、その指のかたち、掌のかたちぴったりそこだけ、針が刺さったかのような切ない痛みを伴って、じくじくと熱を帯びました。手首の骨が、尾てい骨と共鳴し、鳴き声を上げました。叫び出したくなるようなその一秒一秒の衝動を、身体中にじわじわと広げるようにして、飲み込みました。声として外に溢れさせてしまうのは、あまりにももったいなかったのです。それ以外は何も出来ずに、ただひたすらに宮地さんの愛撫、ともつかないつたなくこわごわした行為に、身を委ねていました。
「大丈夫、そう」
 宮地さんの掠れた、絞り出したような声は、おなかの奥の一番深いところにじんじんと沁みていきました。
「…」
「…苦しい?」
「……違います」
「…」
「わかって」
「あ。…ごめん」
 宮地さんは眉をきゅっとひそめて、私の大好きな疲れきった大きな目を無理矢理ひしゃげさせるような、複雑な笑い方をしました。
「ここに、来てもらえる?」
「…」
「嫌だったら、」
「やじゃない、です」
「けど、でも、もう私」
「…大丈夫だから。来て」
 宮地さんはそう言って、自分の太腿に手を置きました。死にたいほど恥ずかしいのに、そんなことをしたら私はどうなっちゃうんだろう、と一瞬躊躇が顔をのぞかせました。同時に、もう狂ってもいいやと考えて、しようがないと諦めて、すこしだけ頷いて、脚を広げて宮地さんの膝を跨いで、向き合う格好で腰を下ろしました。お互いの一番はづかしい部分が布越しに触れあっている、それを認識した時からは全てがぐちゃぐちゃになっていきました。ああ、もらしちゃったかも、と脳が勘違いを起こすほど、下半身は蜂蜜みたいにとろとろととろけて、宮地さんの腰から下と一体になったような錯覚を覚えて、息がうまくできなくなりました。
 宮地さんにそんなつもりはないのに、私だけ、こんな。ごめんなさい。恥ずかしい。ばれてないかな。どうしよう。
 そのことに気を取られ過ぎてふと顔を上げると、宮地さんの顔がすぐ近くて、鼻は焦点が合わずぼやけてしまうほど近くて、視線が混ざり合って、まつ毛が長くて、シワが深くて、妙に現実的な照れが一気に来て気が遠くなりました。息がうまく吸えなくて、でも酸素を取り込みたくて、近づいたり遠ざかったりして、心がどこかへ行ってしまいそうになって、やっとのことでまた下を向いた時、宮地さんの腕が私のからだを包み込みました。髪の毛がぞわっと頰を撫で、宮地さんの頭の、世界で一番贅沢な重みを肩に感じました。ふかふかゴワゴワしたカーディガンの布が素肌に刺さり、少し湿った大きな掌で、しっかりと腰を捕らえられました。触れられている範囲は全て性感帯になって変わり、でもそれ以上に、とてつもなく強く、美しい何かに守られ始めたような充足感が生まれました。
「…だいじょうぶ、そうですか」
「うん。…こう、出来たのは初めてです」
「………よかった」
「こんなことさせて、ごめんよ」

社内報掲載コラム「言葉には匂いがある」

 美しい言葉が好きだ。小説を選ぶのに最も重視する要素も、何を隠そう日本語の綺麗さなのである。言葉には匂いがある。触り心地がある。私が文学を読むのは美しい言葉の良い匂い、感触を味わうためだといっても過言ではない。
 「腰」「初老」「とっくり」「柔和」などお気に入りの単語は数多くあるが、最近の一押しはなんといっても「はかない」である。「頼みにできる確かなところがない。淡くて消えやすい」という意味を持つ。もうこの言語の示す内容自体、切なさやかなしさ、諸行無常の複雑な感覚混じり合う反則ものの魅力フルワードなのだが、響きもまたそれに負けず劣らず素晴らしいのだ。
 まず「は」から連続される「か」が最初にして最大ののポイントだ。あ行が二つ連なることで、空中にふわふわと浮かぶ階段を歩いているような、手応えのない感覚に襲われる。弱々しく息を漏らすことしかできず、このままこの気の抜けたような空気の中をもがくことしかできないのだろうかと思わずおどおどしてしまう。こんな心もとない場所にはいられない。不安定に上下する階段を上るうち、真っ逆さまに落ちてしまうかもしれない……と憂いに投げ出されそうになったところで登場するのがそう、地に足のついた「な」だ。普段であればとりたてて面白みのない「な」の安定感が、ここでは至上のクッションとなってくれる。不安ののちのなだらかな沈着、そうしてそれら全てを最後の「い」は優しく、そっと抜けるように横へ受け流してくれるのだ。
 匂いははっきりとあるわけではないが、上澄みの部分に隠されているすっぱ甘さをかすかに感じる。良い匂いだ。そういう状態を表した単語であるのに「ない」という二音のために、なんだか否定語的に感ぜられるところもこの言葉の良さを引き立てているように思える。
 これからも積極的に素敵なことばを見つけていきたい。美しい日本語がある、ただそれだけでも日本人でよかったと感じる今日この頃である。

日本語・英語コラム「合衆国と私」“United States and me”

芸術と私

私が小学二年生の時、一年間だけアメリカマサチューセッツ州ボストンへ家族とともに移り住むことになった。当時の私はアルファベットの小文字のqとpの区別もロクにつかなかった。
にもかかわらず現地の子供達が行く小学校に通うこととなった私は、最初の1週間それはもう泣きに泣いた。何せ、言葉が一切通じないのだ。口にこそ出さなかったものの、宇宙人かお前らはと心で叫び続けていた。
だが、私には武器があった。絵が描けたのである。
流石の子供パワーで周りとのぽつぽつした交流は出来ていたし、困った時に助けようとしてくれるお世話係的な存在もいたものの、まだまだ親しい人はいない心細い四月下旬のアートの時間に、さみしい気持ちのまま私は入れ籠んでいたキャラクターを描いた。
白い丸が二つに黒い点も二つ、赤い丸が一つに青い大きな丸が一つ…
僕ドラえもんである。それも、藤子F不二雄仕様の本格的なやつだ。絵描き歌のそれではない。
完成して、息をつく。ちょっと満足げに絵を見る。充足感から友達がいないことを忘れられた。作品を持っていそいそと先生に提出しようとした次の瞬間、
「わーお!」「なんてこと!」「絵がうまいね千明!」
面白い程の感嘆っぷりだった。
一時間前まで「他の星から来たやつの世話をしてやらなければ」という義務感を隠しきれていなかった目達。それが、一気に色を変えた。
今ではなんのしがらみもなく「すごい人間だ」に彩られていた。
言葉が通じないからこそ、いざ繋がったときの喜びは大きかった。
その後はユダヤ人のおちゃめなケイトを中心に輪が広がり、ブロンドのケイティ、その友達のエマ、中国人のニッキー等、たくさんの友達に囲まれて、これ以上ないほどのびのびとした日々を過ごすことが出来た。
このことがあってか、アメリカとアートという二つのキーワードは関連づいて私の頭の中にずっと根を張り、現在に至っている。
私をアメリカに導いてくれた両親。私を受け入れてくれた友達。友達と繋げてくれたアート。そしてドラえもん。全てに感謝をする必要があるが、まず何よりも、藤子F不二雄のおかげと言えよう。
ありがとう、藤子F不二雄。それ以来私は彼に足を向けて寝ていない(多分)。


Art and me

When I was second grade elementary school, I was supposed to be living in the United States Boston Massachusetts with my family just one year.
I couldn't distinguished between lower case q and p at the time.
Nevertheless I was supposed to belong to the elementary school children of local attend, so I kept crying for a week of beginning.
Because my word were not through at all to them.
I was thinking that “Are you an alien?” in my mind.
But I had a special skill. It’s a painting.
I was able to communication with around a little by children power,
and there was care engagement presence that will try to help when I was in trouble,
However the time of Art in late April without a friend,
I drew a cartoon character which I liked while with a lonely feeling.
Two white circles,Two black dots. A red circle and a blue big circle...
It’s a Doraemon. Furthermore it’s what full-fledged of Fujiko F Fujio specification rater than It of the song paint.
Painting was completed and I was relieved. The picture made me satisfy. Thereby I was forgotten that I didn’t have any friends. I will hand over it to teacher. At that moment,
”Cool!” “Oh my brother!” “Your painting is nice,Chiaki” It was inspiring as interesting.
They eyes said “I must take care of creatures came from the other star.”Until one hour before. It was at once changed.
Now They said “You are a great person”. Our language were different, so it was very happy when we understand each other without it.
After that I made a lot of friends, mischievous Jewish Kate, cute blonde Katie, Emma and friendly Chinese Nicky, etc. I was able to spend a day-to-day, which was spontaneous as surrounded by a lot of friends.
Through this thing, two of keywords the United States and art are still in my head until now.
Parents led me to the United States. Friends who accepted me.
Art connect me with friends. And Doraemon. I must thanks to all,
but first and foremost I felt that thanks to the Fujiko F Fujio.
Thank you F. I will never forget your greatness.






煙と私

同年9月、あるニュースが流れていた。
気がついた時には、その映像はすでに映し出されていたように思う。
私の住む街にはないが、ブラウン管を通してはおなじみのビル群。その上空を飛ぶ飛行機。
同じ景色。見慣れた画面。何もなかった。
飛行機がビルの一つにすーと近づいた。
近づいて、避けなかった。
あれ?いいのかな?と思った。
何もなかった。
母が隣で息を飲んだのは分かったが、後は分からなかった。
何もなかった。何もなかった。煙が上がった。一気に上がった。止まることがなかった。
息を吸って吐くスピードよりも気持ち早いリズムでぐんぐん立ち上って行くから、つられて過呼吸になりかけた。
何とも言えず、何にも言えなかった。
子供らしく泣いたりしようかとも思ったのだが、取り巻く全てが妙によそよそしくて出来なかった。
母が父に電話をしていた。
私は握りしめられた窮屈な手と、宙ぶらりんで行き場のない足の差をじっと意識していた。
「遠い話」ではない。世界でも、日本でも多くの人が感じたことであると思う。
しかし私たちにとっては、まさに「隣の話」であった。

その日の夜、アメリカに来て初めてニューヨークの方角を見つけようとした。
どっちなのかは分からなかったが、とにかく考えた。
11月に予定されていた、フロリダへのディズニー旅行は中止になった。
しかし翌年7月の、帰国前のニューヨーク行きは決行された。
高い塀の向こうの居心地の悪い大きな広間には瓦礫が積み重ねられており、一年経ってもなおもくもくと煙が上がり続けていた。
と私は認識していたのだが、後に母に聞いてみるともうとっくに更地になっていたし、現実的に考えて煙は治まっているだろうとのことであった。
だが今も変わらず、延々に止まなさそうな煙の柱は目に焼き付いている。
私たちにとっては「隣の話」であった。
私にとってはただ「自分の話」であった。
生まれてこのかた、人を助けたいと思ったことはない。
ただ、未だに目をしぱしぱさせ続けるあの煙を、どうにかしようとしている。

Smoke and me

September of the same year, one news was broadcast.
The video had already been projected when I noticed it.
It was the urban wasn’t in my town but familiar in Televisions. And there was a airplane to fly the sky.
The same scenery. The familiar screen. Everything was the same.
The plane was approaching straight to one of the building.
And it didn’t avoided approached.
I thought that “hmm? all right?”.
But nothing happened.
I didn’t find anything except that the mother have been tension.
Nothing, nothing, nothing. And the smoke went up and it wasn't stop.
It rises up steadily in a little faster rhythm than the speed spit sucking breath, so I became likely to hyperventilation.
I didn’t say anything. Nothing was said.
I tried to cry like a child, but couldn’t it. Because all things surround me was unfriendly.
And then my mother made a phone call to my father.
I was aware of the difference between the cramped hand and dangling legs nowhere to go.
“what happen not to a distance ”. I thought a lot of people had felt in japan and in the world.
However, It was “what happen to the neighbor” for us.

At the night, I tried to find direction of New York for the first time to come to the United States.
I didn’t know which of the direction, but anyway I was thinking.
Disney trip to Florida had been scheduled for November was canceled.
However New York trip done before returning home the following year July was decisive action.
Unnatural big hall on the other side of high wall had been stacked much rubble,
the smoke had continued to rise even after one year.
I recognized as such,
But my mother said that there had long ago become a vacant lot
and the smoke would have stopped realistically thinking.
But I can’t forget the Column of smoke don't stop forever yet even now.
It was “what happen to the neighbor” for us.
It was “what happen to me” for me.
I have never wanted to help someone ever since I was born.
But I want to somehow that smoke not to hurt my eyes.

画像・映像・その他の作品

8枚目 1〜8枚中

  • 私の考えるエロを具現化しました。

    女のはらに絵を描くな

8枚目 1〜8枚中

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